育児記録


大学生5年間

 (1)塾で英語講師

娘が大学生になったので、自分の塾で英語の講師として働いてもらいました。楽しくわかりやすく教えてくれると、生徒たちには好評だったようです。

 (2)中南米&スペイン・語学修業(キューバ)

大学2年が終わった段階で、娘は大学を1年間休学し、中南米へ語学修業へ出かけました。当初の予定では、前半の6ヶ月くらいは、授業料、宿泊費、食費などの物価が極めて安く治安もいいキューバでスペイン語を勉強し、後半は中南米を軽く一回りしてこよう、というプランでした。

この最初のキューバで、最初の試練がありました。語学の勉強は、ハバナ大学(キューバの国立大学)の留学生コースに申し込んでおり、キューバに30日間有効の観光ビザで入国し、その後ハバナ大学に通学を開始したら、大学の事務室が観光ビザの有効期限内に1年有効の学生ビザに切り替え手続きをしてくれる、という手はずでした。しかし、事務室の職員の怠慢により、切り替えが全然進まないうちに、観光ビザの期限が迫ってきたのです。あわててイミグレに行ったら、あと30日の延長をもらえました。しかしキューバに滞在したままでは、それ以上のビザの再延長は不可で、さらに悪いことにこの手続きをすると、学生ビザへの切り替えも不可となるというルールでした。

大学の事務室に怒鳴り込みましたが、責任回避の発言ばかりで何も解決しませんでした。たっぷりと時間的余裕はあったはずなのに、「私は一生懸命に働いた」「私は悪くない」という言葉ばかりだったそうです。「共産主義の致命的な欠点を見た」と娘は言っています。

作戦変更で、この後はキューバを出てバックパッカー旅を始めることにしましたが、そのために必要な資材がキューバでは手に入りません。また、当初よりも費用がかかることになります。さらには、中南米では米ドルのTCが以前よりも使いにくくなっていることが分かってきました。そこで、中南米では入手困難な資材や情報収集用のパソコン、そしてある程度の現金を持って、母親がキューバに飛びました。キューバから隣国メキシコのカンクン(近いから航空券が高くない)に行ってくると、再入国の際にさらに30日間の観光ビザがもらえるので、ハバナ大学の授業の切れ目まで在籍できるというメリットもあります。母娘で楽しくキューバ観光とカンクンリゾート滞在をしてきたようです。

 (3)中南米&スペイン・語学修業(中南米)

入国して2ヶ月あまりで娘はキューバを出国し、飛行機でメキシコシティまで移動しました、そこで3週間、日本人旅行者が多くネット環境のある安宿に滞在し、情報収集をしながら今後の作戦を考えました。メキシコシティでは、人々はみなフレンドリーで、ウォールマートでは目の前でむいてくれるマンゴーが1個15円くらいでとても甘く、蚊が強力だけども日本の蚊取り線香がよく効く、などの情報が、通信環境が良いせいでたくさん送られてくるようになりました。

その後は、物価や治安、ネット環境、米ドルTCの両替のしやすさなどから、グアテマラのアンティグアに移動して、語学の勉強を継続しました。通った語学学校は、1日4時間の1対1の授業で、月謝はなぜかキューバよりも安い220ドルでした。とてもいい先生で、楽しく勉強できたようです。ただ、治安が悪く、2ヶ月の間にバス車内強盗とスリと置き引きで、iPodとデジカメとiPhoneをやられました。1年間の海外旅行保険はかなり高額でしたが、ほぼ購入価格の保険金が下りたので、入っておいて良かったです。

グアテマラでの語学修業が終わってからは、長距離バス主体で、7か月かけて中南米を巡りました。グアテマラ、メキシコ、ベリーズ、グアテマラ、エルサルバドル、ホンジュラス、ニカラグア、コスタリカ、パナマ、コロンビア、エクアドル、ペルー、ボリビア、チリ、アルゼンチン、ウルグアイ、アルゼンチン、パラグアイ、ブラジルの順です。ガラパゴス島やイースター島、マチュピチュ、イグアナの滝などが印象深かったようです。

その旅行でもトラブルが続出しましたが、すっかり慣れて、それほど慌てることはなかったそうで、娘は太かった神経がさらに強化された模様です。ボリビアでは母親と合流し、ウユニ塩湖を経てチリまでは2人旅でした。その最中にもたくさんトラブルがあったので、母親まで鍛えられてしまいました。中南米の国々は、人生修業にぴったりのようです。

 (4)中南米&スペイン・語学修業(スペイン)

ブラジルからアメリカ経由で日本に帰国するよりも、ヨーロッパ経由の方が航空券が安いことが分かったため、ついでにスペイン語の本国にも行こうということで、娘の語学修業の最後の3週間はスペインでした。「中南米と比べると、物価はものすごく高いが、食べ物もホテルも治安も清潔さも国民性も、まさに天国」とのことです。

ちょうど1年後に、さらに強くたくましくなって、娘は日本に帰ってきました。

 (5)就職活動

就職に関しては、親としては「好きなところに行け」いう姿勢でした。「普通は、きつい仕事だと給料が高い。だから、給料が高い業界は仕事がきついのが普通だ」と言ったら、「きつくても給料が高くてやりがいのある仕事がいい」と娘は言いました。習得したスペイン語を生かせる仕事に就ける可能性がある点から、国際的な業務を展開している商社と損保(特に海事部門)の総合職で就職活動を始めました。

帰国してすぐに業界研究を開始し、大学3年生のときには、何社かのインターンに参加していました。大学4年の4月1日に就職活動が解禁となり、損保は1社目が3日連続の面接で、2社目は3日連続・1日休み・5日目に4回目の面接で、内定が出ました。商社は、1週間くらい粘りましたが、全滅しました。スペイン語を活用できる可能性が高いと思われる方の損保に決めました。