(1)パソコン
高校生になった頃に、娘のパソコンを再び更新しました。3台目のマシンも、親のお下がりです。娘のパソコンスキルは上達して、高校1年生の頃には自分の趣味のホームページやブログを開設していました。デジカメで撮った写真をパソコンに取り込んで、フォトショップでトリミングしたり色味を変えたりしていました。
(2)水泳
「高校でも、部活は運動部がいい」と親に言われた娘は、水泳部に入部しました。スイミングスクールは中1のはじめに退会してたので、約3年のブランクがありますが、あまり速くない部員もいたので、気楽に練習に参加できたようです。種目は、フリーには速い人(スクールの選手コースの経験者)が何人もいたので、バタフライになりました。たくさん泳いで、まあまあ速くなりました。
水泳部ということで、アメリカに留学した際には、水泳大好きの素晴らしいホストファミリーに迎えて入れてもらえました。世の中、何が後になって役に立つのか、分からないものです。地元のスイミングクラブのチームは、「選手がいなかった女子のバタフライが来た、これでうちのチームはメドレーリレーにも出られる!」と大喜びだったそうです。
(3)スキューバダイビング
高校に合格できたお祝いに、春休みに沖縄へ行って、スキューバダイビングをしました。親は2人ともオープンウォーターのライセンスを持っており、海外ばかりで計30本くらいの経験がありますが、娘は初めてなので、水深10m以内の体験ダイビングです。船で少し沖に出て、熱帯魚がたくさんいるポイントで潜りました。サンマをちぎったら無数の熱帯魚が集まってきて、なかなか楽しい時間でした。
もともと水が大好きだった娘は、この体験ダイビングで水面だけではなく水中も気に入って、その後の中南米遊学の際にダイビングのライセンスを取得しました。カリブ海で何本も潜って、「サイコーだった」とか言っていて、うらやましいです。
(4)ボストン&フロリダ旅行
高1の夏休みは、ボストンとフロリダへ行ってきました。ボストンでは、ハーバード大学でハーバードおじさんの銅像の左足を触ったり、ホエールウォッチングでは至近距離のクジラのジャンプに驚いたりしました。フロリダは、テーマパーク巡りです。
(5)海外留学
高校入試が終わったらすぐに情報収集を開始しました。高校生の交換留学は、どの団体でも、費用はほぼ同じであることが分かりました。そこでまずは交換留学派遣団体としては最古参で最大手のAFS(合格水準も最も高い)で、派遣生選考試験を受けることにしました。
4月のAFSの留学フェア(留学についての説明や派遣先国の紹介をするイベント)では、親日国であること、独自の文化的があることなどから、娘はアルゼンチンを気に入りました。しかしアルゼンチンはスペイン語です。娘はスペイン語の前に英語が得意ではありません。そのため、家族で相談して、「今回は英語圏がいいのでは、スペイン語圏は英語がしっかりしてから次のチャンスで行けばいい」という話になりました。
AFSの派遣生選考試験は、第1期選考が合宿選考で、第2期と第3期はペーパーテストと面接でした(現在は変更されています)。すべてのチャンスに挑戦するのが当然ですから、まずアメリカを希望国として、2泊3日の合宿選考に申し込みました。高校入試が終わったらすぐに派遣生選考試験に向けて英語の勉強に切り替えて勉強のペースを落とさなかったことが奏功したのか、すんなり合格してしまいました。
合宿選考の出願と同時に、ジブラルタ生命の第2期奨学金にも申し込みました。全額支給・返済なしで、アメリカ派遣300名のうち10名に支給されるという奨学金です。作文での応募で、気がついたのが遅くあまり時間がありませんでしたが、塾でも指導を受けて、みっちり仕上げました。8月下旬に連絡があり、こっちも合格でした。
高2の夏に出発し、当初は英語にかなり苦戦して、それにも関わらず読めとか書けとかたくさん宿題が出るので、ひーひー言いながら勉強していたようです。とてもたくさん、いろいろな経験をして、精神的にも肉体的にもさらにたくましくなって、翌年の夏に帰ってきました。
(6)自動車運転免許
休学扱いでの留学だったので、帰国したら娘は1学年下のクラスに入りました。そのため、高2のうちに18歳の誕生日を迎えることになります。西高校の隣に自動車教習所があります。校則で自動車免許の取得は禁止されていません(そもそも、西高校には「校舎内では上履きを履くこと」という校則しかないらしい)。そこで自動車免許については、オーケーを出しました。
「海外でクルマを運転することになる可能性が高いから、女性に多いオートマ限定でなく、マニュアルにしろ」と言ったら、アメリカの高校生や大学生のクルマは大半がぼろいマニュアル車(オートマ車よりも安い)であることを見てきた娘は、「私もその方がいいと思っていた」ということで、話がまとまりました。すんなり免許が取れました。
免許を取って、そのまま放置しておくとペーパードライバーになってしまうので、ケガと修理代が恐ろしいですが、なるべくたくさん娘に運転をさせました。どんどん運転が上手くなって、その後は母娘でクルマで出かけるときは、母親も運転はできますが、たいていは娘が運転しているようです。でも、私と出かけるときは、長距離でない場合は、ほとんど私が運転手で、「やっぱり助手席が楽でいい」とか言っています。
(7)大学受験
高校生になったら、勉強については何も指示をせず、難しい調べ物があるときに手伝うくらいで、本人任せでした。逆に、「今度の週末、みんなでどこかに遊びに行こうよ」と言って「試験前だからダメ」、「少しくらいいいじゃん」、「絶対ダメ」と断られるような、子供の勉強の足を引っ張るような親でした。それでも、競争心と上昇志向を身につけた娘は、「このままの成績ではまずい」と勉強に手を抜かず、試験前などは気合いを入れていました。塾では、英語と数学の受講を継続しました。
その結果、入学当初は学年低位だったのに、高3の夏には文系で学年2位にまで成績が上がっていました。特に英語が苦手で、人に言えないような順位だったのが、留学から帰国したらいきなり学年トップクラスです。英語力については、1年間の海外留学はまさに特急券だったと思います。
大学受験は11戦11勝で、第一志望の東京外国語大学・スペイン語学科へ進学しました。娘は「スペイン語を勉強して、ある程度上達したら、途中で大学を休学してスペイン語圏に1年留学しよう」という作戦を立てていました。合計で2年間、社会人になるのが遅れることになりますが、それ以上の成果があるだろうと思い、オーケーを出しました。すっかり自分で考えて行動できるようになり、たくましさは嬉しいですが、一抹の寂しさも感じたのでした。